ロシア人墓地


松山って どんな所? こんな所です。
日露戦争の頃の「ロシア人兵士」が眠っています。看板を読んでね。
日露戦争については、司馬良太郎の「坂の上の雲」を読めばよくわかる。
物語の主人公の秋山兄弟は、松山出身。
現在 松山市は、「坂の上の雲記念館」を市内に建設中。
秋山兄弟が眠っているのも、ここの近く。
この時代の松山は、いろいろな意味でにぎやかだったんだろうなぁ。


ロシア人墓地、説明文 


明治時代の話だけど、戦争の捕虜の待遇がこれ!!
松山の風土を、如実に現している。
捕虜と言うけど、外出自由、しかも観劇や温泉入浴もOK!!
これは、観光客なみの待遇だよね。
戦場で、なくなった人は、通常は不遇なんだろうけど、
松山での待遇は、かなり良いレベルだったらしい。





松山の 「ロシア人墓地」 へのアクセスは、バスが便利。
狭い道だけど、ちゃんとバスが、案内してくれる。



伊予鉄バス 回遊ループバス 
今では懐かしい ボンネット・バスが案内してくれる。
ここだけでは なくて いろいろな市内の名所を案内してくれるよ。







ここが、ロシア人墓地 決して広い敷地ではないけれど、
きちんと お墓を作っている。
戦争の捕虜って、本当に悲しいイメージだけど、
こうして きちんと埋葬されていれば、少しは違うよね。






永久眠る
  孝子ざくらのそのほとり





これは、看板を読んでもらったら わかると思う。 敷地内にある碑を撮影。
けっこう、薀蓄がありすぎて、オレの頭では理解しがたい。
この時代の松山は、正岡子規や夏目漱石の活躍でも有名。
今では想像できないけど、文学的な場所だったようだ。
松山市内には、句碑が いろいろなところにある。
なにげなく通りすぎてしまっているけど、ひとつひとつの句碑から、
いろいろな当時の情勢などを知ることができる。






ワシリーボイスマン大佐の お墓。
「日露友好のかけ橋」とも、書かれている。
戦争は、誰にとっても いいものではないし、絶対に起こしてはならないものだと思う。
どこの国の人でも、同じ人間同士だから、撃たれれば痛いし、
家族や友人が亡くなれば悲しい。
誰も、捕虜になんかなりたくないし、実際のところでは、戦いたくもないだろう。
多くの人たちが、犠牲になった戦争の後で、今の日本がある。
日本人が、戦時中に他の国で行った行為については、決して許されない事もあると思う。
また、他の国の人たちも、許されない事をしているかもしれない。
多くの、人たちの犠牲の上で今の時代があるなら、今 生きている人は、
必ず平和な世界を、作り上げなくてはいけないと思う。
今、自分が生きている「松山」が、過去にも人情味のある街で、本当に嬉しいと思う。





戦争をしてしまったけれど、それが友好につながるのならいいけど。
いつまでも無益な争いは、本当にイヤだよね。
ワシリーボイスマン大佐の胸像が いつまでも このままでいて欲しい。
全世界的に平和な時代がくるのは、いつだろう?









Copyright(C) 2004-2006 Office Ishite All rights reserved.
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送