松山道後村めぐり 風土記の丘(ふどきのおか)

石手寺裏門から伊佐爾波神社に抜ける丘陵地帯は、
「風土記の丘」と呼ばれています。
今も、昔のままの道が続いているのですが、
手入れもあまりできていないようです。
スタンプ台は、石手寺裏門から歩けば、すぐです。





風土記の丘は、道後村めぐり16番に指定されています。
ここには、富田狸通の句碑があります。



富田狸通は、明治34年に温泉郡川内町(現在の東温市川内)で生まれています。
松山中学から,松山商業,明治大学から伊予鉄道に入社
大正15年頃から、句作に入り、子規や漱石らを顕彰しています。
昭和24年頃には、西条の石鎚山麓で捕獲した狸を飼育していたそうです。
本家 野球拳 初代家元も務められたとのことです。
昭和52年に亡くなられています。




句碑の下は、伊予のみかんの開拓者 河野房五郎の顕彰碑です。



伊予風土記についての説明です。
和銅6年(713年)に、編纂されたと推察されています。
風土記は奈良時代に地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂された物
とされていますが、完全に近い形で残っているのは、出雲国風土記のみです。
伊予風土記は、江戸時代にサイド編纂されたとされるものが残っています。
伊予風土記、日本書紀においては、道後温泉に関する記述が多くあり、
朝廷との強いつながりがあったことが推察されます。



江戸時代の道後温泉の絵です。
日本最古の温泉と言われています。
日本最古の温泉と銘打っている温泉は多いので、
検証してみれば、おもしろいかもしれません。




四国 松山 道後村めぐり15番 石手寺

四国 松山 道後村めぐり16番 風土記の丘

四国 松山 道後村めぐり17番 岩堰

四国 松山 道後村めぐり18番 東野御茶屋跡

四国 松山 道後村めぐり19番 へんろ橋

四国 松山 道後温泉

湯築城 跡

ロシア人墓地

坊ちゃん列車







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